(映画)スタンド・バイ・ミー
「スタンド・バイ・ミー」は何度も見返している映画のひとつ。
この映画で感じるのは「子供と大人の境界線上の輝き」である。
映画を端的に言えば、
「多感な時期である少年たちは冒険を通じて一歩大人になる」
という内容だが、感じ取るメッセージは人それぞれだろう。
まず、彼らの日常が描かれる。
狭く、居場所のない町、退屈した4人の子ども。
彼らはボーダー(町)を越える。
何者かになるために。
映画の冒頭、赤い橋を渡るシーンがある。
それがボーダーを越えることを印象付けている。
死体を見つければ、何者かになれる気がする。
気の合う友人との他愛もないやりとり。
想像できないことに遭遇し、困惑する。
時には友とぶつかり、時には協力し。
冒険を通じて、見たくない過去や現実と向き合う。
近づいてくる彼らの将来。
勘のいいゴードンやクリスは現実と将来の狭間で悩み始める。
大人と子供の境界線にいる彼ら。
そこでまたとない経験をし成長するわけだが、
成長物語ではない。
大事なのは彼らは冒険しているまさにその時、輝いていたということである。
子どもにとって将来のために今を費やすのは、将来にとって価値のあることだ。
しかし、子どもの時間の本質はそれだけではない。
子供は純真無垢に輝く時間を過ごせる貴重な時間である。
まだ、何者でもない彼らは、
何者でもないからこそ、たった一日の冒険に没頭できる。
まさに今を赴くままに動き出している。
枠から抜け出そうともがいているのだ。
その瞬間こそまさに彼らが輝いている。
そして、その輝きは本当に儚い。一瞬のきらめきである。
少なからず皆さんも経験があるだろう。
大人になってしまった私にその輝きはもう取り戻せない。
取り戻せないからこそ、良いのだ。
あの12歳のころのような友人はできない。
その友人は心の中に今もいる。
ちなみに私は夜のシーンが好きだ。
ゴードンのすべらない話、クリスの涙。
ミッキーはネズミ、ドナルドはアヒル、プルートは犬。
じゃあ、グーフィーは?