価値観の変遷
utsupapa
うつぱぱブログ
走ることに飽きた。
なので地面に沈み始めた。
足がとられる。
一歩が重い。
体中の筋肉が動くことを拒否する。
だれも知らないところで、深く深く眠りたい。
沈むほど視界は暗くなる。
何も見えない、何も聞こえない。
・・・。
いや、まてよ。妻の声は聞こえる。
妻の声はよくとおる。
昔からそうだ。店員さんも必ず振り返る。
私の「すみません」は届かない。
声がすぐ下にボトッと落ちる。重量に負ける。
妻の隣でぼそぼそと「その服似合うね」と言い、
「今いいこと言った」と内心ニヤリ。
そこに妻はなに!?なんて言ったの!?の一言で私の余韻をかき消す。
すごい。
人の言葉は呪うことと祓(はら)うことができる。
声にも呪う系と祓う系がある。
妻は強い祓う系。私は弱めの呪う系。
私のか弱い呪いの戯言は一瞬にして祓われたのだ。
言霊というのは確かにある。
そこに種類もある。
この頃は呪う言葉ばかりが世の中にあふれている。
やさしい言葉が祓う言葉とは限らない。
呪う言葉はなぜか重い。
時に相手に刺さる。
良い意味でも悪い意味でも。
言葉の呪いは、言葉によって祓われる。
今までこうして何人も呪ってきたのだろうか。
悪いことしたな。
いや、呪いの全てが「悪」ではないはず。
愛や友情も呪いの一種なのだろう。
人は常に呪い、呪われをくり返している。
そして、時として祓われる必要がある。
そういうことなのかもしれない。